’96阪神大賞典 

’96阪神大賞典編      2004/3/22

 大井の福永先生から電話がかかってきたところからにしましょう。
横で聞いていた限りの内容はこうです。

F 「どこいきますか。」
O 「はい。阪神に決めました。」
F 「阪神ですか、あの2頭も阪神でしょう。」
O 「いや東には強敵がいますから。」
F 「ははは。」
O 「2頭の年度代表馬相手に立派に競馬して見せます。」
F 「それじゃー京都で会いましょう。」

 1996年の初春の話です。
阪神と言うのは阪神大賞典の事で、あの2頭と言うのはNブライアンとMトップガンのことで、
東の強敵は、福永厩舎のツキフクオーのことですね。
そして話の対象はルイボスゴールドの事です。
(以下余談)
 福永先生と大倉は旧知の仲で笠松で第1回サラブレッドカップが行われたとき、
第1回目を盛り上げなければという事で、福永先生に頼んで、イナリワンを使いに来て
頂きフェートノーザンとイナリワンの対決が見られたのでした。
その際、イナリワンは大倉厩舎の馬房に入ったため、私は南関東のバリバリの
オープン馬を間近で見るチャンスとばかりに、後から到着した福永先生を車に乗せて
厩舎まで送って行きました。ちょうどイナリワンが引き運動されているときで、初めての地
で物見もせず堂々と歩く姿に惚れ惚れした事を覚えています。もうひとつあのときの話に
なると必ず大倉が言う事は、あの時福永先生が、車を降りると真直ぐに水道の蛇口に向
かって歩いていき、蛇口から直接水をがぶがぶ飲んで「これは美味い、美味いと聞いて
たがこれなら安心だ。」と言った事です。さすが、名将ここにありって感じでした。
紳士でした。
(余談終わり。)

 
 大阪杯に行けば2頭にあたらずにすみそうですが距離が短い。
この馬に最高のレースをさせるには、って事で阪神に決めたそうで、
そう決めると逆に、昨年の代表馬と一昨年の代表馬と同時にレースが出来ることは、
むしろ贅沢で喜ぶべき事なんだと思えるのでした。

 二着までに来なければ天皇賞には出られません。
当日、パドックから馬を見送った大倉は自分の中の最後の迷いを断ち切るかのように
別のレースで騎乗するため阪神へ来ていた安藤騎手に話し掛けたそうです。
「勝己君、今、重政(坂口騎手)に『5着ねらいで行け。』って、俺そう言ったんだけど
間違っとったかナー。」
「・・・。・・・。いや、僕もそれで間違ってないと思います。」

そことは当然別行動の、大倉B兄弟は、単勝馬券を握り締めパドックを見てから
一番前でレースを見ようという暴挙ぶりで、(笠松気分でJRAに行かない様に。)
あのときの、敷物しいて場所とっていた若い男女の5.6人の方たちに今更ながら
お詫び申し上げます。

1996年阪神大賞典。ご存知、平成の名勝負と言われた両雄の叩き合い。
びっしり並んだ2頭が目の前を通り過ぎ、観衆の歓声が異様なため息に変わった
瞬間から、時間差攻撃のような3人の大絶叫。時間にして二秒ほどでしょうか。
ため息と共に名勝負の余韻に浸っていた大観衆の皆様には今更ながら
お詫び申し上げます。

 感動している姉、興奮している弟。
あいだ−に挟まれ ・ ・ ・ はいはい。
私は案外冷静でした。「3着じゃ天皇賞出れんがや。あーあ。」
3人は、三様の思いを二人に理解させようと話し込みながら、出口へと歩いて行きました。
1、2着はまだ写真判定、4、5着も写真判定。よって、掲示板に光り輝いているのは、
3着の7の数字と着差だけ。「9馬身の着差を時間にしてもいつもの年なら勝ち負けのタ
イムやぞ。」と弟。「すごいって。がんばったって。」と姉。
「3着では天皇賞・ ・ ・ 。」
 その7を見てお客さんの一人が「7だけやん。なんや7て、ル イ ボ ス ゴールド?
笠松の馬かー、へぇー。」というのが聞こえました。

「京都で会いましょう。」
いつの日か、きっと京都で会いましょう。

おわり

   


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