アメリカンマキは行く


2005年5月、日高のドンと呼ばれるあの人にお世話になったお話です。
 五月初旬のこと。
「どうだ?そっちは」日高の牧場の社長から電話がかかってきた。
「はい。とくに変わったことはありませんが二十五、二十六日にこちらから両町長と事務局長が行くんですね」
「そうだよ。伸ちゃんも来い。二十三、二十四は馬市だから見に来るといい」
「そうか、トレーニングセールですね」
「笠松に行ってたベガの子とダンスの子も出るんだ。イヤー見違えるぞ。うんと立派になったからな」
「馬市なんか行ったら僕一日中動きませんよ、それにトレーニングセールは初めてです」
「かまわない、見せてやるから、じゃー待ってる」
ベガの子というのはアドマイヤベガの牡馬でダンスはダンスインザダークの牝馬、笠松でこの春乗り付けした
二歳馬である。
昨秋、笠松競馬を今年度限りで廃止すべきという検討委員会の話が持ち上がってから、慌てた姉と調教師の
義兄が、父の「社長に頼むしかないぞ」という言葉を受けて北海道に飛んだ。
「まず馬だな。馬が増えなきゃ何も言えんだろ。何頭でも送ってやる」
余りにあっさりした承諾に姉は感動し、私は
正直少々疑問を持った。
「お前はそう思うか。社長が馬を売るのは当たり前だ。近々社長も笠松に来る。それでお前もわかる」相変わ
らずの短い父の言葉を聞いて幼いころから知っている社長の顔を思い出していた。
その後、日高生産者からの金銭面を含む笠松へのバックアップ体制が整えられ、それが
大きな力となり「一年間の試験的存続」という形で笠松競馬場は命をつないだ。
 五月二十三日朝、北海道へ向かう飛行機の中で春先のことを思い出していた。三度にわたり笠松に滞在し
た社長は、昼間はたいてい
我が家を拠点としていた。
余談であるがオグリキャップの笠松誘致もこの滞在中に進められた話である。
「伸ちゃん馬見に行くべ」
ダンスインザダーク、アドマイヤベガ、トウカイテイオー、サクラバクシンオー、名馬たちの産駒を含め二十頭以
上が放牧されている。
ここ数年この時期にこれだけ子馬が放牧されていたことはない。
「痩せさせたなー。これじゃだめだ、投げ草もってこい。伸ちゃんよ、俺に調教師免許あればな、一番になって
やるのにな」
相変わらず言うことが厳しい。
夕方になると社長滞在を聞きつけた人が集まり競馬談議が始まる。
「アメリカの競馬場で飯食ってたら隣で飯食ってた女の人が馬主らしい人となんだか話しててな、オッケーって
言って店のおばちゃんに抱いてた子供預けて行っちゃったんだよ。
そしたら次のレースでそのお母ちゃん乗ってんだ。」
「お金積んで出走権取る重賞もあるんだ。
馬主が100万積むとするだろ、別の馬主が120万積むとそのレースに出られないかもしれないんで150万積
むかって調教師に聞くんだ。馬主は一着取りたいから積むんだ、
調教師も勝てる自信がなきゃ馬主に頼めない。
それこそ真剣勝負で全部勝ちに来るんだ。
『今日はちょっと太かったんで』なんてのんきな事言ってられないんだぞ」
 夜も更けてくるとだんだん昔話になってくる。あの人はまだ生きてるのか。あの男は何してる。あの馬は強か
ったな。
「そうそう、俺金沢から社長に電話して金借りたことあったね。笠松の馬主が金沢にオープン馬見に行って買う
って言うから俺も見に行ってさ、競馬見たらそれが強いの、これ買われたんじゃ俺の馬笠松で2番になっちゃう
と思ったから今晩中にお金入れるから俺に売ってくれって話決めちゃって、さぁ金がない。
社長の馬買ったことないのに社長しか思い浮かばなくって、あの時は社長に笑われたよ。
でもやっぱり強かったもんね。いつも二頭は別々に使ってたくさん勝たしてもらいました」
「いやあの頃はどこもここも馬売ったり買ったり盛んだったもんな」
いろんな馬に、いろんな形で関わってきた人・・・私が抱いた少々の疑問は消えていた。
「社長、馬を持っている人の夢はG1でありダービーですよね。ダービーに出られそうな馬を売ってくれったって
売ってもらえませんよね。それはその人の夢であり欲求です。
社長の場合、買いたい人がいれば全部売る、『但しこの馬だけは売れない』ってのが無い」
「伸ちゃん、俺は馬喰うだぞ」
「はい、人の馬も頼まれて売る。『この馬だけは売れない』と言って重賞を取ろうとする人と、買いたい人には売
って日本中の馬を相手にする人と、うまく言えないけど、どちらが欲張りというか、何ていうか・・・」
社長は「ふふん」と笑った。
疲れてきたのか眠くなったのか社長は静かになり他の人の昔話は続いていた。
飛行機の窓から北の大地が見えてきた。
あのあとの言葉、静かにしていた社長が静かに話し始めた。
「小学校の一年生の頃だな。家で畑引かせてた牝馬がいてな、俺にだけは何しても怒らないんだ。尻尾引っ張
ろうが首にぶら下がろうが暴れもしなきゃ嫌がりもせんで何でもさせてくれるんだ。その馬、もうかなりのおばあ
さんで、親父が『もう何もさせられないから
お前にくれてやる』って言ったんだ。うれしくてなー。そうだ伸ちゃん俺馬主になったの一年生だ。毎日とんで帰
ってたよ。ある日帰ったら馬がいねんだ。親父に聞いたら『もう食わせられないから売った』って言うんだ。
見たら遠くにアイヌのおばさんが跨って歩いていくんだ。泣いて追いかけたよ。したけど
一年生の足じゃ追いつけなかった・・・。もう何もさせられない馬が売れてっちゃうんだもん。みんなが貧乏だっ
たんだ。アイヌのおばさんが乗って行くのが見えるんだもん。泣いて追いかけたよ」
 北海道は雨だった。連絡したが社長はセリ場には来ることができず夕方牧場を訪れるとちょうど種付けの準
備が始まっていた。
子供の頃から何度も来た事はあるが種付けを見るのは初めてだった。自ら種馬を扱い手際よく済ませると「い
やー種付けとお産が続いてとても笠松には行けないんだ。伸ちゃんいらっしゃい。ジンギスカンの用意してあっ
から食べよう、今日は泊って行け」
「はい?」素直に返事をしてホテルをキャンセルしセリのこと、笠松のことを話しながら
十二時頃布団に入った。
日の出が早く三時ごろ犬の鳴き声と車のエンジン音がしたがまた寝てしまい朝6時に「おい行くぞ」と起こされ
牧場をまわり朝食。
種付けは全部夕方に回しセリ場に向かった。
アドマイヤベガの牡にダンスインザダークと
スペシャルウィークの牝、途中の売れ行きから今日は売れないと判断したが決してお代は下げず社長の馬は
主取りとなった。
特に残念な様子は見せないで牧場に戻る車の後部座席で余りの弁当をほおばり牧場に着くと種付けを済ませ
私には夕飯を勧めた。
今日はご飯だけにしようと思い場長の奥さんが出してくれたビールを断り箸を取ったところで社長がとび込んで
来た。
「伸ちゃん大変だ、お産だ、行くべ」
箸を置きとびあがった。
「社長またジャンバー貸してください」
「いやー伸ちゃんついてるわ、お産も見れるんだものな」
「はい、初めてです。種付けからお産まで全部ですね」
少し離れた別の厩舎まで車をとばすと既に事務の人まで勢揃いしていた。
「社長、難産です、後足が出ちゃってます」
状況を確認して「子ッコは、無理だな、とにかく引っ張り出すしかないぞ」
「せーのっ、せーのっ」気づいたときには私も一緒に足を持ち引っ張っていた。
息絶えた子馬が引っ張り出され心臓マッサージが繰り返された。「母親も駄目かもな」
「男の子だよ、くそー」
「死んで生まれたんじゃ男も女も一緒だ」と社長
「したけどなー、一年やってきてなー」一緒にきた社長の知り合いが社長より悔しがっていた。

馬小屋の中に作られた2畳ほどのガラス張りの仮眠用の小部屋に僕を招きいれ
「伸ちゃんはお産見るの初めてか、戦争中は男手が無くてな、お産になるといつも俺が呼ばれるんだ。ひどい
ときには山の向こうから呼びにくるんだもの。『早くしろ、早くしろ』って走らされて俺は産婆さんだったよ。
やがて母馬が立ち上がった。
「いや女は強いな。隣の母馬、腹巻いてあるだろ。腸の手術して昨日戻ってきたんだ。今日セリに出たダンス
のお母さんだ。一時間おきに少しずつしか食べさせられないんだ」
夕べの犬の鳴き声とエンジン音の訳がわかった。
「本当にお世話になりました」
翌日笠松、岐南の両町長と笠松競馬管理者、県会議員が訪れお礼ともお願いともつかぬ会話がされた。
社長に言われるまま余分に二泊して飛行機に乗った。また窓から北の大地を見ながらあのときの話を思い出
した。
山の向こうまで夜道をお産の手伝いに走る少年は、一年生の頃の自分を思い出していただろうか。アイヌのお
ばさんが乗った年老いた馬を泣きながら追いかけたあの日の自分を。
 オグリキャップが笠松を去る日も私は同じことを考えていた。
お産に走る少年は、絶対あの日のことを思いながら走っていたんだ。
あの人は馬と生きている。


日高トレーニングセールを見に行きました。
お世話になった牧場に珍しいドサンコの
子馬がいました。
何十年もやっていて7頭目だそうです。
6頭目と7頭目が今年一度に生まれたそうです。
きっと笠松を応援してくれる事でしょう。


05.04.21
看板完成までのささやかなイタズラです。


結構怖かったです。
左の方は馬が走っている絵になります。
上の方まで塗ってきたら・・・
あれ、ここ赤で塗りつぶすんじゃないいの?
しっぽは右の方にはみだすの?

看板屋さん「ずいぶん大きな落書きだね。」

完成したときシッポの色が少〜しおかしかったら
それは黄色いバナーの皆さんのシワザです。

黄色いバナーを貼りつけてくださったっている
すべてのホームページの管理人様、

本当にありがとうございます。

2005.02.11
笠松戦隊〜〜〜
2・11デビュー当日名前募集していました。
カメラが故障して写ったり写らなかったりで
結局写真しか撮れませんでした。(by my娘)

競馬場のバスで現れる所がとてもカッコイイと
娘は大ウケでした。


2005.01.16
新春ファミリーマラソン
とても寒い日でしたが馬場はやや重で
例年よりは走りやすそうでした。


2004.10.10   おぉ! 2004.10.10 おぉ?



アドマイヤボスが優勝したら一番大きいボスの
縫ぐるみが売れちゃってました。

柳津マーケットの店長
http://www.maxpoint.jp/
グレートフルデットビーンベアのMAX POINT
 笠松競馬場で6月 29日 30日大井競馬
ナイターの場外発売が行われました。

  笠松の調教師会騎手会の婦人会をはじめ
厩務員の人達も協力し愛馬会なるものを結成し
この日はフリーマーケットやバザーを開きました。

  お手伝いしてきましたが、とても疲れました。
でもみんなの競馬に対する気持ちが伝わって
きました。
この日は生ビールが300円、始めから
終わりまで、ずーっと飲んでた人もいましたね。
それにしても良い雰囲気です。ナイター競馬。
是非笠松でもヤってほしいです。
馬場も観覧席も見ましたが特に新しい照明
なしでも出来るような気がします。

バンドも来てました。右上の写真の人達から
見えるんです。

オグリキャップの銅像と愛馬会キャンペンガール
愛馬会の依頼で快く集まってくれたそうです。
洋服も襷も手作りだそうで。


2004.1.18 笠松競馬場にて、
 ファミリーマラソンが行われました。
 今年で26回目になる大会ですが、
 地元笠松の子どもたちをはじめ、
 最近は遠くの方からの参加者も
 多いようです。
 前日の雪もやみ、風も無く良馬場に
 回復していましたが、とても砂が深く
 子どもたちは、予想外の走りにくさに
 びっくりしていたようでした。
 「お馬さんの気持ちがわかったか?」
 何て言うお父さんもいましたが、
 「解るかっちゅうの。」と言い返されて
 いました。
 完走すると左のような完走証が
 もらえます。

        完走証
  あなたは第26回笠松町民
 新春ファミリーマラソンに
 おいて名馬オグリキャップを
 上回る脚力と元気を発揮し
 みごと笠松競馬場を完走
 したことを
 証します。


 私は完走してません。
  これは息子のものです。





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